今回、ご紹介するウォートン女史の『夏:SUMMER』(1917)は結構、読了に時間がかかりました。訳文が悪いわけではなく、そもそも主人公のチャリティ・ロイヤルの性格に共感が出来なかったからですが、めげずに最後まで読んでみて分かったことは、この作品から色々なことが学べたという点です。20世紀の初頭ですので、いくら米国といえども女性たちの立場は低く、そのうえチャリティは山に住むジプシーのような人々の地を引く貰い子でした。たまたま引取り先のロイヤル家が立派で、不自由なく少女時代を過ごしたにも拘らず、チャリティは自分が惨めだと思い込み、住む世間に反発をしていきます。年がら年じゅう子供っぽい感情を爆発するので、周囲からも「素行の良くない娘」として浮いていきます。ここでは自由平等を掛け声にしている米国社会でも、田舎に行けば、小さな狭い社会に隷属することでしか自分の居場所は見つけられないという事実があります。平たく言えば、経済的自立は男性の庇護のもとでしか得られないという現実を、彼女は受け入れることが出来ません。それには彼女の出自からくる反発心(向上心とも捉えられるかも)からくる言動なのでしょう。「金髪碧眼 vs 浅黒い肌の黒い瞳」「正統なる者 vs 異端の者」という、集団の帰属に伴う分離があり、更には「村の者 vs 山の者」という地域による分断もまた明確に描かれています。
脱線しますが、とりわけ「山の民」という概念が米国社会もあったという点に驚かされました。普遍的な集団には帰順できない、あるいはそこから追放された人が暮らすという「山の民」という概念は、日本列島でも古くからありますが、米国大陸でもまた似たような歴史があるのですね。人間というのは、とかく「異端者」作りが好きな生き物のようです。









