J.M.G. LE CLÈZIO

寡聞にして、まったく知りませんでしたが、ノーベル文学賞を受賞したフランス人作家クレジオ氏の作品『偶然(帆船アザールの冒険)』を、フレンチ・ミステリーの流れで読んでみました。かっては名声を謳歌してきた映画監督モゲル、そして、現実世界に夢を持てずに悩んでいた少女ナシマとの出会いから始まる物語です。副題の船名アザールは「危険な夢」ということらしいですが、地中海から大西洋横断、そして中米でおきる様々な出来事のなかで、ナシマもモゲルも翻弄されてしまいます。世の中の常として、出会いがあれば別れもあり、その舞台となった帆船ナザールも数奇な運命を辿ります。どのような本でも作者が伝えようとしているメッセージをもっているはずですが、この本のタイトルの「偶然:Hasard」というのは如何なる意味なのかを読みながら思案してみました。時制で言うと、Hasardの起きるタイミングは「いま」「現時点」であり、これから来るかもしれない未来でもないし、過ぎ去ってしまった過去でもありません。「現時点」の状態は避けようがありませんが、「選択」というのは「現時点」でしか成しえない行為です。その場その場で、誰しも「選択」をしながら生きているわけで、例えそれが
上手く行かなかったとしても過去は過去として、過ぎ去っていきます。船旅の冒険譚の部分を主体に描かれていますが、実際にはすべての人々の人生も同じようなものでしょう。吹き飛ばされてしまうような大嵐もあれば、まったく風がなく前に進まない海域も突然出てきます。そんな時どうするのが一番良いか?この本のなかでは信頼できるクルーが重要であり、それが「選択」の間違いを避ける大きな助けになるということだと感じました。クルーと云うのは、身の近くにいる「他人」で(これが重要)、たとえ不愛想でも反感を感じるような人でも、その人の存在がよりよい「選択」に結びつくのかも知れません。一人称では、長い船旅も、人生もうまく渡っていくことは難しいというのが、クレジオ氏の文章から私が感じたメッセージです。