9月11日に思う

カレンダーを見ていて、そう言えば今日があの9月11日だということを思い出しました。何年前に起きたのかも忘れていましたが、これは22年前、2001年の話です。日本人24人を含む2977人が、この惨いテロ行為の犠牲となりました。気になったので、当時の私自身の心境がログに残っていないかを調べてみました。
「12 Sep 2001 07:03:49 日本時間で昨夜、ニューヨーク、ワシントンで発生したテロ事件には大きな憤りを持つとともに、犠牲になられた方々への深い哀悼の意を表します。大変なことになって参りましたが、一刻も早く事件の解決と秩序の回復を願うばかりです。」と綴っていました。この先、世界はどうなるのだろうと、不安を隠せないコメントでした。そして案の定、翌月から米国によるアフガン空爆が始まったのです。
こうした負のスパイラルのなか、その年のエッセイには、こうした世の中の情勢に対する、自分なりのコメントが述べられています。「12 Oct 2001 08:36:28 米英軍によるアフガン空爆の開始とともに、メディアを始めとする世論は「反米」「報復戦争反対」という論調が主流になってまいりました。色々な立場と様々な意見があるわけで、このことに敢えて非を唱える気は毛頭ありませんが、どうも今回の世界中を巻き込んだ大騒動の発端となったテロ行為、あの一ヶ月にN.Y.と首都ワシントンで起きた大惨事が、早くも風化しつつあるのではないかという懸念がしてまいりました。あの瓦礫の下には、それこそ一般市民がまだ数千人も埋まったままでいるわけです。小生自身の考えは二つ。一つには人間そのものが地球という生命体に生かされている訳で、そのかけがえのない命や環境を破壊するテロ行為は許しがたいものだということ。二つ目は、生態系と同じく人間界でも多様性を尊びたいものです。一つの考えに凝り固まり、異文化の存在を許さない無差別テロはそのバランスを脅かすものなのではないでしょうか?」こんなコメントでした。これらが適切なコメントかは分かりませんが、今でも世界における覇権争いや、分断化が進んでいます。
同じ月には、もう少し悲観的なエッセイがありました。「24 Oct 2001 08:19:49 水槽の中にいるヨシノボリも、なわばりを守ってか、いつも仲間うちでケンカばかりしているようです。平衡状態というのはたまにあるのですが、これがいわゆる「平和」という状態になるのでしょう。興味深いのは、この場合も決して平等という状況ではなく、簡単に云うと「序列」が維持されているだけの状態だという点です。一番強いやつが一番良いポジションを取り、その次の魚は、次に良いところを選び、一番下のやつは、端っこのエサなどめったに落ちてこないような場所に追いやられている。水槽内では、どうやらこれが「平和」の図式となっているようです。ということは「序列」が設定されないと、秩序は回復しないと云うことなのでしょうか?もしかしたら平和ということは、戦いと根元的には極めて近しい概念なのかも知れません。」なるほど、いろいろ考えることが多い、9月11日でした。