G. K. Chesterton

3月11日には様々なことが頭に思い浮かびます。どうしても私たちは、何気ない人の暮らし、日常の風景が、本当はとても価値あるものだと、災禍の記憶がないと思い出せないもので、生きていくうえで、こうした折々で考えて、身勝手になりがちな軌道を修正していくことは大切なことです。今日はそのような一日にしていこうと思います。
閑話休題
ミステリーチャンネルやU-nextなどのTVドラマでは散々みているブラウン神父シリーズですが、本としてまともに読んだのは今回が初めてです(以前にアンソロジーのなかで読んだ記憶があります)。笑えるのが、テレビのなかでは、最新のBBC版ではマーク・ウィリアムズ演じる神父は、背も高く太めで存在感ありありですが、じつは小説のなかでは小柄で目立たない人物として描かれてることです。たしかに映像作品で、原作に忠実なキャストにしてしまうと印象が弱くなり「受け」がなくなってしまいます(以前の他局ドラマでは原作に忠実だったものもあるようですが、人気があったかどうかなのかは不明)。もう一つの興味深い点は、チェスタトン自身はロンドン生まれのイギリス人なのに、あえてカトリック神父を主人公に据えているところです。実のところ氏は国教会からカトリックに改宗しており、氏の世界観や宗教観が作品に反映されているようです。時はちょうど英国の産業革命発展時、理念や合理性が重んじられていた時代に、敢えて古くからある社会の伝統や、人の心に残された機微に焦点をあてた物語を志向したのでしょう。いずれの短篇も理性的な勧善懲悪モノとは言えず、犯人像もどこかしら憎めないキャラクターをもっています。このシリーズ、スタートはやはり『ブラウン神父の無心(創元推理文庫ではブラウン神父の童心):The Innocence of Father Brown』(1911)だと思います。読み比べてみましたが、わたし的にはちくま文庫版の方が好みでした。