言の葉2

ミステリをのべつ幕無く読んでいると、次第に疑り深い性格になってくるような気がしますが、読書から得る別の効能もあります。いつも思うのですが、作家の言葉の選び方に舌を巻くことが度々あります。たしかに文を作るのが仕事なので、当たり前のことなのでしょうが、作家の脳みそにはありとあらゆる語彙がひしめき合っているのでしょう。一般人については、語彙インデックスは加齢と共に劣化していくものですが、後期高齢者になっても素晴らしい作品を作り上げる作家も多く、やはり不断の執筆活動が脳味噌の劣化を防いでいるのでしょう。先だって取り上げた、語彙力の貧しいモータージャーナリスト氏たちは、おじいさんになったら、果たしてどのようになるのか関心があるところです。
それはさておき、私たちが時折使ってしまう「馬鹿」という言葉も、使用にあたっては、けっこう選んだほうがいい言葉のように思えます。「馬鹿」とは馬と鹿の区別もできない愚か者を指し、言動がその場にふさわしくない様を形容しておりますが、何でもかんでもこの言葉を多用することは控えようと思いました。代替する言葉としては「間抜け」とか「阿呆」とかが候補に上がりますが、実際に耳にしたときの印象は結構違って聞こえます。自分は関西人ではないので、お笑い芸人がよくつかう「阿呆」は、むしろ「馬鹿」よりも表現が強く、行為そのものより、その人の能力や人格を傷つけてしまう気がしてしまいます。よってこの言葉は先ず使う気になれません。「間抜け」はもう少し柔らかくて、どことなくその人に愛着さえ感じてしまう表現にも聞こえます。言葉の選び方は大切であることを、こうしたちょっとした用語でも分かるので、日常生活でもブログでもよくよく考えて言の葉を紡いでいきたいと思います。