11月も中旬を迎えていますが、ここに来て気温が大きく下がり、冷え込みのなか公園も野原の光景もかなり寂しくなってまいりました。カマキリやジョロウグモが、産卵前の最後の段階に到達してきており、まもなく最後のお勤めを終えることでしょう。カメムシの幼体は木や葉の裏に集まり、これから長い冬を過ごすために静かにたぐまっております。成虫のまま越冬するような虫もおりますが、大半は卵や蛹の形で、その子孫らに次代を委ねます。多くの虫にとっての一年は、まさに自らの一生だったわけです。これを以て「虫たちの儚い一生」などと表現する気はさらさらありません。儚いかどうかは人間からみた身勝手な形容にすぎず、当事者でもないのに軽々に彼等たちを代弁することは間違っています。でも逆に、彼等の生きざまを見て、私たちが勉強できることは少なからずあると思います。おそらくきっと、一日一日、一瞬一瞬を精一杯生きてきたはずで、たぶん「一目散に振り返らずに走り去った彼等」という形容のほうが、しっくりくるのかも知れません。なぜならば「振り返り」は本質的にはナンセンスな行為だからです。その場、その時でベストを尽くして生きていく、記憶はあくまで判断の一材料に過ぎません。彼等の一生は、そうした一瞬の連続でしか無いと私は感じています。かく云う自分自身も、ひいこらしながら、長年ここまで生きてまいりましたが、甘酸っぱい、あるいは悔やまれる気持ちを生む「振り返り」が何かの役に立ったということもありません。何かの言動を行う際、役に立たないような意識や記憶は、生きていく上でも無駄でしかない、ということなのでしょう。それよりも、いまの一瞬をどう動くのか、何をして、何をしないのかを即断していくことに力と心を注いだほうがよさそうです。









