9月にも拘らずめちゃ蒸し暑いなか、親の法要(回向)を済ませてきました。暑さでうんざりしていたのが読まれていたのか、僧正のお話のなかで「暑いときでも供養」「寒いときでも供養」そして「春秋の穏やかなときにも供養」、そうした故人や仏さまを敬い慈しむ心は何時でも必要だということが紹介されました。当日も施餓鬼法要など、時節に合わせた供養が行なわれておりましたが、要はイベントの時だけではなく、一年通じて始終手を合わせる心を持つように、と云うことなのでしょう。たしかに人というのは、何かのきっかけでも無いかぎり、すぐに慢心がもたげてくるものです。イエス様でも仏様でも、手を合わせていく形には、おそらくそれ以上の効果があるのだと思いました。余談ながら、カメラ行脚でも、いつの間にか「マイウェイ・スタイル」になってしまって、変わり映えのしない写真を連発する羽目に陥ってしまっています。今回の旅では敢えて「自分を過信しないで」「原理原則に沿った形で」撮ることを意識しました。思い込みで露出や絞りを設定しないで、カメラのもつオート機能を信用してみることにしましたが、出てきた絵を眺めていると、色々なことを勉強させられました。









