アガサ・クリスティ16

読んでいるようで、今まであまり読んでいないのが短編もの。そしてクリスティの短編ものと云えば、ハーリ・クィン氏と並んでパーカー・パイン氏が挙げられるのではないでしょうか? 35年間の官公庁勤務で得た経験をもとにして、不幸な人の悩みを解決する事務所を営むパイン氏。そんな商売が成り立つのかと思いきや、事務所は結構繁盛している様子。たしかに、相対的にみると、人は「いまは幸せ」と感じる時間に比べると、「いまは不幸」に感じる時間は比重的に随分多いかも知れません。そうなるとビジネスモデルとして悪くはない、という見方も可能です。そんなことを思いながら『パーカー・パイン登場』を読むことにしました。内容は軽めですが、なかなか愉しく読むことができました。そこで気づいたことがあります。短編には作者の伝えたいエッセンスが凝縮して織込まれているということです。いきおい、なかなか含蓄のあるフレーズがそこかしこに飛び出してきます。いくつか気になった言葉のなかで腑に落ちたのは「(羨望と敵意を抱いているので)貧乏人が金持ちを(正しく)評価するのは難しい」とかいう趣旨の話でした。たしかに羨望や敵意は判断を曇らせてしまいます。もう一つ、人間の感情として始末に負えないものは嫉妬心でしょうか。パーカー・パイン氏はこれを巧みに使って、夫婦仲を修復することもしています。恋愛感情や物質的な欲求は、本来は自分の感情に依存するものですが、怖いことに時として、他者からの欲求でそうなることもしばしばです。言葉を変えると、他者に奪われたくないから彼女と結婚する、とか世間の評価が良いからあのクルマを欲しがる、などと云った振る舞いは、よくよく考えると、あとで後悔をする羽目になる種を十二分にはらんでいます。つまり、自分の行動が他者によってマインドコントロールされている事例とも言えるでしょう。そして叶えたら叶えたらで、ようやく目が覚めるわけです。大切な事柄であればあるほど、「自分の感情に深く問いただしてみること」が肝要だと思います。このような、ミステリ本筋には関係ない事柄まで思い起こしてくれる短編集は、その点でも貴重な存在だと言えるでしょう。今回の短編のうち『シーラーズにある家』と『大金持ちの婦人の事件』は短めでしたが、心に残るいい作品でした。これからは長編に拘らず、気に入ったものを読んでみるつもりです。