フランシス・アイルズ

アントニイ・バークリーは、アイルズ名義で『被告の女性に関しては(As for the Woman)』を発表しました。1939年のことですが、この本の筋は、ちょうどその頃、世間を騒がせたトンプソン夫妻事件とラッテンベリー夫妻事件、この二件の事件に則ったものです。いずれも妻の若い愛人が、その夫を殺害したもので、当時の英国社会の一端を垣間見ることが出来るかもしれません。タイトルは、その事件の裁判官が「被告の女性に関しては、軽蔑以外の何物も感じないであろう」と法廷で言い渡したことから引用されているらしいです。人間というのは誰しも、大なり小なり自尊心というものが在って、それを傷つけられることを、ことのほか忌み嫌います。ヒロイン役のイヴリン・ポールにとっては、ある人を愛することが自分自身の自尊心に基づくものであって、それは何びとにも侵されべからざるものだと云う信念をもっていたのでしょう。ところが、この小説の主人公のアランにとっては、おそらく自分を認めてもらうことでしか自尊心を認識できなかったようです。物語のはじめから、主人公の小難しい性格に閉口していた自分ですが、案の定、予期せぬ事態が起きたときに、その本質が露呈してしまいました。上手くいくはずも無かったのです。そもそも羞恥心とか自尊心とかいうものは、結局のところ自意識にすぎず、それらが強いと正しい判断や行動には結びつかないものです。分かってはいましたが、あらためて再認識いたしました。それにしてもアイルズの心理描写は怖いぐらいです。