A・C・ドイル3

多くの訳本が出ている『四人の署名:The Sign of Four』ですが、今回わたしが手にしたのは創元社推理文庫(深町真理子訳)版でした。とても読みやすかったです。過去幾度か読んでいるはずの小説ですが、悲しいかな殆ど覚えていませんでした。
比較的短い作品ですが、能書きによるといちおうは長編の第二作目にあたります。昨今の複雑怪奇な謎解きとかトリックなどと比べると比較的シンプルではありますが、スリリングな追跡劇やインド帝国との深くて暗いつながりなど、とても盛りだくさんな内容を詰め込んでいるエンターティメント小説ですね。しかも、これが1890年に上梓されていることを思うと、ドイルはすごい人間なんだなーと改めて思わざるを得ません。この本ではストーリーテラーのワトソン医師と妻とのなれそめも同時進行しており、これがまた、おどろおどろしい物語のなかで香しいスパイスになっています。謎解きやトリックにだけ傾倒しないところも、この小説を読んでよかった点です。
依頼人でもあるメアリー・モースタンが巨額の財産を得るかもしれない事が、つつましい暮らしをしているワトソン医師にとっては、(求婚に際しては)むしろ耐えがたい障壁になっている様子を聞くと、ワトソン医師の人柄のようなものがよく分かりますね。ミステリの世界だけでなく、一般社会でも云える話ですが、まったく逆のことを(財産目当ての求婚を)考える厚顔な男性ばかりが目立つなか、彼のような存在が逆に光るのでしょう。感情を交えない理論家肌のシャーロック・ホームズですが、このような純朴な相棒の存在が、おそらくは心に潤いを与えているのでしょう。それにしても、富に際しての人間たちの欲望には切りがありません。いまでも、そしてこれからも、ミステリ殺人は消えてなくなることはありませんね。