エラリー・クィーン5

クィーン氏の『九尾の猫:Cat of Many Tails』(1949)が正統派の推理小説だということは論を待ちませんが、訳出によって取っつき易さは変わってくるのかも知れません。読んだのは越前敏弥氏による新訳版なので、ずいぶんと読み易かったです。舞台はニューヨーク、そこで起きる謎の殺人鬼「猫」による連続殺人事件の話です。暗黒都市NYでは、連日連夜おぞましい殺人事件が発生しているので、せいぜい数名の連続殺人などは喧騒のなかに埋もれてしまいがちですが、市民の恐怖心をあおるという観点では、こうした無差別〔被害者の属性がばらばらで一見そのように見える〕の殺人事件では、おそらく「次は自分だ」とか「自分の家族は狙われないだろうか」などという恐怖心やパニックを想起させることになるようです。人間というのは大なり小なり「自意識過剰な存在」だからでしょうか。多くの街区で自警団のようなものが出来、それがちょっとしたきっかけで大パニックや事故を呼び寄せてしまうことになります。推理小説の根幹は「推理」であって、事件と特定の人との「関係性」を導き出すことによって初めてパズルのピースが埋まることになりますが、この本ではなかなか「関係性」把握に至りません。あらためて思うに、必要な情報が得られないうちは、このロジックは構成できないわけです。面白いのは、こうした情報は、探偵本人の頭の中に唐突に浮かぶものではなく、他者とのやり取りの中で得られるもののようです。一見すると探偵はいつも個人プレーをしているようですが、その実、重要な「鍵」は他者から示されていることが多くあります。ただし「鍵」を認識できるかは探偵の知力に依存していることは間違いのないところです。捜査にはチームプレーで情報を広く収集せねばならない一方、それらを束ねて適切な判断ができる頭脳もまた必須要件だと思います。