Hiyorimi-Blog

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■2012年6月28日 (木) 懲りない種族

「持続可能な開発というものが、私たち人類に残された唯一の選択肢である。」このバン・キムン事務総長の言葉が示す真意は、はたしてどこまで主要参加国の首脳の頭の奥底に届いたのでしょう? 環境サミット20周年という節目で開催された国際環境会議「リオ+20」では、先進国と発展途上国との間の溝は埋まらずに、具体的グリーン経済のビジョンが示されぬまま先送りされ、24日に閉幕してしまいました。 今までひたすら続けてきた資源浪費/自然破壊型の経済構造を改めて、限りある資源をむさぼらずに、太陽や風など無限に続く自然の恵みを賢く使いながら、新しい産業や雇用を生み出そうという考え方は、大きなところでは異論を唱える人は少ないにも拘らず、具体化となると途端に各国のエゴがむき出しになって来て、違う方向になってしまう。環境経済というのは、ある種のトレードオフを敢えて甘受する覚悟と勇気がないと前に進まないということを、今回もあらためて感じてしまいました。 とりわけ日本は、フクシマという酷い経験を踏まえて、持続可能な未来の重さ、大切さが身に染みたことを全世界に向けて訴えるべき立場に居ながら、肝心な首相は、公約すらしていない消費税増税という、拙速な内政に忙殺されて不参加でした。 こういった首脳たちに導かれた種族の行く末は、もう何となく見えてきたような気もしますが、本当に人間というのはそれほど愚かな存在なのでしょうか?。

■2012年6月27日 (水) 多摩川アユ

新聞を読んでいたら、今春の多摩川への鮎遡上数が何と1000万匹を突破したとか言う嬉しい記事 が出ていました。たしか私がガサガサに熱中していた7?8年前には、鮎の遡上数が100万匹になったとかで大騒ぎして、NHKにも特番で報道されていたと記憶しています。そこからすると、今回の遡上量はとんでもない規模と云うことになります。 理由としては、流域の下水道整備と、昨年秋の台風による出水で川床の石が洗われたために、産卵条件が大きく改善したとか云うことが書かれていますが、本当のところは、河川敷や川床の清掃活動など、大勢の人たちの多摩川に向けた愛情が実ったという事だと感じています。 同じような産卵環境であるマルタウグイにとっても、今春はさぞかし大量の産卵ができた事でしょう。川辺に立つことがなくなって久しいですが、この様なニュースは力づけられます。

■2012年6月26日 (火) 宗教的自然観についてD

それでは、他律的な倫理規範をもたない現代の日本人は、救い様がない存在なのでしょうか? 決してそう云うことではありません。自国の民族や文化に誇りをもつことは間違っていませんし、島国がゆえの均質性と団結力の強さは重要なポイントだと感じています。うまく進めれば素晴らしい自然共存型社会が築かれるでしょう。その鍵の一つは倫理教育だと思います。学校教育はもちろん、社会人に対しての生涯教育でも、きちんと「大いなる力の存在」「守るべき人間の行動倫理」と云うことを、色々な局面で認識させて行くことが肝心です。とは言え、公立学校では公務員でもある学校教師が適任者とは思えません。各宗教界から宮司、お坊さん、神父や牧師さんを呼んで、月に一二度でも説教を聞く機会を持たせるべきです。 こういう時すぐに出てくるのは「思想教育はケシカラン」とか云う単純な議論ですが、しかし、ここまで日本人の倫理性が失われた大きな要因の一つが、この様なヒト過信型行動様式ではないでしょうか。妙な新興宗教に陥り易い国民性もここにあります。 でも、「自然に囲まれる心地良さ」という感覚については、日本人はまだ失っていないはずです。自然界の万物は、人知の及ばぬところで築かれてきました。その事に対するリスペクトを醸成するためには、やはりヒト以上の存在を意識して生きて行くことが、どうしても必要であると感じている私です。

■2012年6月25日 (月) 宗教的自然観についてC

循環や輪廻思想、森羅万象の中にある己れ、もののけ姫風アニミズム等々の耳触りのよい言葉に甘えないで、ヒトとして何をすべきなのか、何をすべきでないのか、曖昧にしないで自身の役割を認識することが必要でしょう。自然を客対視しない事を自慢している様な論調が目立ちますが、裏を返せば馴れ合い、無責任さ、いい加減さにも繋がります。もしかすると、主客が曖昧なために、俺のものは俺のもの、誰のものでもないもの(自然物)も俺のもの、と勘違いしているのかも知れません。 誰しも知っているように、節操なく自然を壊している真犯人は、突き詰めれば地上で一品種、ヒトだけです。とりわけ、宗教をもたないほとんどの日本人は、その行動規範について高い倫理性を自ら課さねばなりません。これが簡単ではないことは誰しも分かります。わたし自身、日本における自然保護や保全復元に一抹の危惧を抱いているのは、こういった一般的日本人が持つ無宗教性です。

■2012年6月22日 (金) 宗教的自然観についてB

そこで翻って、私たち日本人の一般的な自然観にもメスを入れてみたいと思っています。東洋的な自然観といっても、国や地域、そして時代によって変化していますので、一括りにして言い切れるものではありませんが、これまた大いなる勘違いの事例として、あたかも中世や江戸時代にあった庶民の自然観が、いまなお平均的日本人の行動規範に表れているかのような、自己賛美型発言がネット上でもよく見ることができます。そういう考えをもつ方々は桜の時期の公園のごみ捨て場や、月曜朝の多摩川の河原に行って欲しいと思います。考えを変えざるを得ないでしょう。 そこからは、日本人が持つとされている自然物礼賛や循環思想などを感じることは出来ません。八百万の神々とかは、まだまだ日本が国として大きくなる、ずっと前の話で、あたかもそれで日本人が持続的自然保全に対して、今でも先取性や免罪符をもっているかの様な錯覚はすべきではないとわたし自身は感じています。

■2012年6月21日 (木) 宗教的自然観についてA

多少の勘違いなら放置できますが、ともすると「我々人間が自然を所有物のようにして下に見て、煮るなり焼くなり勝手にふるまえる」という類のことを、あたかもキリスト教で容認しているとみなしているとすれば、国際問題にもなりかねないので一言コメントしたくなります。こういった人間中心の振舞いということ自体が、キリスト教の精神とは違うような気がしているからです。 間違いを恐れずに言えば、私の理解では、キリスト教では先ずは大原則として地上界にあるものは全て神が作られたということ、そして、私たち人間は(神が望まれる方法で)それらのケアをする義務と責任があるということが、そのベースになっているようです。そうなると、野にある草も、空を飛ぶ鳥も、水の中にいる魚もすべて神の創造物となると、キリスト教を信じる人間がどうして粗雑に扱えることが出来るでしょう。こうなると無宗教者が勘違いしているように「人間」と「自然」が独立した別個の存在ではなく、相互に有機的に関わりをもつべき存在となっていることが少しは分かるはずです。 世の中がグローバル化してくると、こういった感性の違いを認識してないと、日本民族は世界の中で決してリスペクトされる存在にはなり得ません。

■2012年6月20日 (水) 宗教的自然観について@

先日、とあるセミナーで。講師の方が「西洋的自然観すなわちキリスト教的自然観は人間中心主義であり、自然物は人が利用するためにだけにある」とかいうような趣旨の話をしていました。それを聞いたときに、その対照として「万物に神性が宿るようなアジア的、日本的自然観の方が秀逸である」とでも言いたげな、妙な感じの優越感を講師の言葉の中に感じてしまいました。 そこに居た大勢の人たち(一般的な無宗教日本人)にとっては違和感なく聞こえたのかも知れませんが、自然保護運動では先行している西欧社会を見ている自分としては「本当にそうなのだろうか?」と大いにギモンを感じてしまった訳です。 自然物を、あたかもヒトと対峙させるかのようなキリスト教自然観を糾弾するときに、日本人がよく引用しているのが旧約聖書の創世記第一章にある「神はまた言われた、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう。』」というフレーズです。聖書を読まずにここだけをピックアップして、さもキリスト教すべてを看破したような口ぶりです。聖書は人の生き方をテーマとした書なので、自然物に対する記述は少ないですが、少しでも読めば、私たちを取り巻く自然物や小さな命に対する慈しみが聖書の中に幾つも描かれております。論者はそんなことすら知らないでしょう。

■2012年6月18日 (月) のらくろ便り_o

カラ梅雨とか書いたら、土曜は一日中梅雨空のなかで濡れ鼠状態の野良仕事でした。気温は低かったので、その点はまあまあ良かったです。考えてみると晴れると暑くなるし、どうにも良い按配と云うのはないような感じですね。 収穫はホウレンソウと裏なりダイコン。ホウレンソウは収穫が遅れてしまい、葉がいい色の株が少なく残念でした。とは言え、春蒔きでもそれなりに収穫が出来たのは嬉しかったです。秋蒔きではちゃんと仕立てるつもりです。 もう一つの裏なりダイコンと云うのは、間引き菜を捨てずに別畝に定植したものです。案の定、曲がったり寸詰まりになったりしてましたが、味は変わらないので漬物用として確保。梅酢でもぬか漬けでも使えます。取れたのは30本ほどですが、流石に隣近所には配れないので自宅用にします。これでまたしばらくダイコン漬物ばかりになるでしょう。

■2012年6月15日 (金) 梅雨入り

関東も平年並みに梅雨入りしたそうですが、今のところ梅雨を感じさせる様な日はあまりありません。前線や低気圧の移動にともなって涼しい日が唐突に来たりしていますが、シトシト天気というのは少ない感じです。もしかすると今年はカラ梅雨になるのかも知れません。湿気や暑さが苦手な私としては、その方が有り難い話になります。ムシムシでシトシト雨のなかで、汗だくで野良仕事をやる事は勘弁して欲しいところです。6月は体調を崩すことが多かったので、今年は注意したいと思います。 ここしばらく自然観察会は月一程度に絞り込む予定ですので、何とか6?7月で体勢というか、5月から本調子でない身体や仕事のリズムを整えて、夏場を乗り切りたいと考えています。その為にも睡眠と週末の時間をゆったり取ることから始めたいと思います。時間的ゆとりがないと調子も戻らないと思います。野良仕事も、なるべく朝夕の涼しい時間帯に小まめにやって、昼間はゆったりしたいものです。今月の目標は「頑張らない」と云うことに尽きます。

■2012年6月14日 (木) 間もなく最終回

この一年、テレビで何が楽しみだったかと言えば、韓流歴史ドラマ「トンイ」をおいて他にはありませんでした。似たものでは善徳女王なども見てはいますが、楽しみと云う点ではトンイがピカイチ。その昔放映したチャングムの誓いも好きでしたが、これ程にハマることはありませんでした。千葉の実家と町田の自宅という二ヶ所から通勤しているのですが、どちらの家にも連ドラ予約を入れてあるので、たまに早く帰宅できた時などを使って、一話も欠かさずに見続けて来ました。 そのトンイも先週で59話、いよいよ最終回を残すだけになりました。最終回を迎えるにあたって、これほど終えるのを悲しく感じたドラマは久しぶりです。ヒロイン役、ハン・ヒョジュのキャラ無くしては、これほど透明感のあるドラマにはならなかったでしょうが、やはりイ・ビョンフン監督の手腕あっての作品だと思います。

■2012年6月13日 (水) 自然観察指導員講習会

先週末は、八王子高尾で実施した自然観察指導員講習会に二泊三日で出かけて参りました。私自身も講師として三度目の参加です。続けていくとマンネリ化してしまうのですが、今回は場所も変えて気分一新。とても充実した三日間でした。60名弱の受講者は自然経験豊富な者から、よく分からないけれど何となく興味あって来た人まで、色々おりましたが、それぞれ手応えを感じて講習を終えたように思えます。わたし自身はひたすら滅私奉公的に振る舞いましたが、これもまた、新たに指導員となる皆さまへの期待が大きいからこそ出来たことです。次は彼等と一緒に、リーダー仲間として自然観察会を回ってみたいものです。

■2012年6月12日 (火) 外来種についてD

パネルを何とかしようと云うことで、都会から(石灰質を溶出する)コンクリート建造物を撤去し、火山灰を表土に再度客土すれば、戦前の土壌環境は復元するでしょう。そうすることで、ある程度の「在来種」は復活するかも知れません。更にはエアコンや暖房などの熱源を禁止することで、都市のヒートアイランド化は抑制出来そうです。もしかすると里山に蔓延るシュロも、実生が冬越し出来ずに少し減るかもしれません。 でも、エアコンやコンクリート建築を失うことが社会的正義なのかと言うと、やはりギモンが残ります。徐々に優先順位をつけて対策をするべきもう一つの理由は「全ての生物種は、先ずは自分たちの便益を守るために生きている」と云うのが、理屈はともかく地上界の真理だと云う点です。この点には反発するナチュラリストも結構多いと思いますが、「人あっての地球」というスタンスに敢えて私は立ちます。そうは言いつつも、ちょっとした配慮や工夫で生きものの営為を阻害させないようなことには頭を働かせねばなりません。また、費用がかさむ大規模な自然保全に対しては、その実態を見ながら、人間の社会生活に明らかに損失を生じさせるような地域や事柄を優先して対処するのが、現実的な落とし所ではないかと思います。 例えば、都市緑化でも、均一ではなく多様な植物を分布させたり、回廊を意識したりすることで、多くの生きものがその営みをつなげて行く事が出来ます。これらは大きな経費増なく進められる事柄です。一方、公的資金の投下先としては、今なお豊かな生態系を辛うじて残している、一部の干潟、原生林、島嶼部、そして里地が挙げられます。いわば稀少パネルの集中的な保護策とも言えます。それに合わせて、動植物園での積極的な絶滅危惧種の保全を行なうことも効果的です。網羅的に対処出来ない以上、ある種の割り切りをすることは仕方ないと思います。異論が出るのは意識しつつも、昨今の私の考えはこうです。

■2012年6月11日 (月) 外来種についてC

外来種問題には、そのベースに観念的な要素が含まれていることを先ずは自覚することが肝心です。何でもかんでも、とにかく外来種は排斥!とかいう論調は耳触りは良いですが、まるで植生の尊皇攘夷運動のようにも聞こえてしまいます。こう言った感情的な原理主義運動には、いい意味での日和見主義を標榜する小生には胡散臭さを感じてしまいます。 そもそも自然と云う、とてつも無く巨大な対象を、網羅的にコントロール出来るようなミッションは、この人間には与えられていません。現実的には、我々自身の社会生活にマイナスインパクトを与えそうなケースから、徐々に出来そうな対策を講ずることが妥当なやり方だと思われます。理由は二つ考えられます。 先ずは「ベースとなるパネル自体が変容しているなかで、新たにパネルにフィットし始めたピース変化だけの是非を論ずること自体が合理的でない」からです。例えば、分かりやすい例として、冒頭にご紹介した通り、春先の路傍には数多くのナガミヒナゲシが咲き誇っています。問題の本質は彼らの移入経路を探ることや糾弾では無く、パネル変容という事実の認識です。 ここで捉えるべきは日本の土壌の富栄養化です。古来の関東ローム層に代表される火山灰地(酸性土壌)では、石灰質が豊かな(アルカリ)土壌を好む欧州産の外来種がはびこる余地は有りません。堆肥や培養土を施すことで、彼らの住みやすい土壌環境に、せっせと人間側で土地改変を進めていることが、実は問題の本質です

■2012年6月 9日 (土) 外来種についてB

高尾から配信します。自然観察指導員講習会の中日ですが、あいにくの天気になってしまいました。とは言え、私自身が講習を受けた時も台風接近の最中で、やっぱり悪天候でしたが、とても楽しかった思い出があります。雨の日の自然観察は、普段とは違った面白い見どころもあるので、たぶん受講生も印象深い経験になると思っています。 さて、外来種の話に戻りますが、事例としてあげたいのは、ニュースなどで大騒ぎしているトキ繁殖の話です。ご存知のように、学名にもニッポニア・ニッポンとつけられているこの鳥は、我が国ではもはや絶滅してしまいました。変動するパネル(在来生態系)のなかで弾き出されたピースだったとも言えるでしょう。 いま、雛を孵しているのは中国からの移入個体カップルですが、これらのピースが、またパネルのなかに居場所(生態ニッチ)を見つけ出すことは至難のわざだと感じています。何故なら昔のピース(在来トキ)が弾き出されたあと、パネルのニッチは他のピースで埋められているはずだからです。 中国トキという新たなピースがまた、生態系のなかで軋轢を生むことになるでしょうが、不思議なことに、このことを騒ぐ声も聞こえて来ません。おそらく、トキと云うブランドならば外来種も構わない、と云う人間の恣意的フィルターが働いているからで、外来種という概念がかなり情緒的な思惑に左右されていることが分かります。

■2012年6月 8日 (金) 外来種についてA

生態系というのは、単純なものではなく、色々な生きものが其々の生態的な位置(ニッチ)を見つけてはめ込まれた、いわば一種の複雑なジクゾーパズルのようなものです。新たなピースが投げ込まれた時に、そこで軋轢が生じ、あるものは置き換わり、あるものは折り合いながら、それぞれの生態ニッチを形成して行くものですが、世間で時としてあるのは、こう言ったピース投げ込み自体がケシカランと言った論調です。わたし自身も、こう言ったスタンスに立った時期もありましたが、どうもよくよく考えてみると、物事はそう単純ではないと云うような気になってまいりました。 パズル全体のパネルそのものが変動しているのに、それにフィットしようとしているピースを軽んじ、今までのピースの存続だけを声高に叫んでも、全体からみれば詮無いことだと感じたからです。

■2012年6月 6日 (水) 外来種について@

朝、駅までの道沿いに咲く草花を楽しんで、写真を撮ったりしていましたが、陽も高くなって、撮影にはイマイチになってしまいました。今朝のように夜半に雨が降って曇っていると、発色が良く出るので有難いです。今の時期だと路傍にはオオムラサキツユクサやアカバナユウゲショウなどが咲いていますが、いずれも外来種です。 でも、彼らはいずれも自力で歩いて日本にやって来た訳では有りません。人によって運ばれて来たもので、私たちは自らの所業の節操なさを省みる事なしに、単に「外来種」と云う定義だけで彼らを虐待、蔑視するような事は慎まねばなりません。 植物たちには罪はありません。遥か自生地を離れてしまっても、何とか新たな地で子孫を残そうと、一所懸命に頑張っているわけです。そもそも日本は大陸との交易とのなかで、大昔から色々な植物が移入されてまいりました。今でも日本の風景として残っているものの多くは、イネを始め、こう言った大陸由来のものでしょう。ところが、ある時期からは「外来生物」という有り難くない名前がつくようになってしまいました。 その区切りが明治時代だろうが昭和初期だろうが、そのこと自体は人間側の恣意的な線引きですので、あまり意味がある定義とも思えません。しばらくこの「外来種」ということについて、脳みそを働かせてみましょう。

■2012年6月 5日 (火) のらくろ便り_m

黒川菜園の初収穫が行われました。金町小カブと春大根です。今週末が自然観察指導員の講習会なので使えないことを思い出し、あわてて収穫しました。カブもダイコンも、ともに3月下旬に播種したものなので、収穫タイミング(60日〜)からするとReady状態。秋蒔きならばゆるりと収穫することが可能なのですが、春は巣が入ってしまうので早めの収穫が良いと言われています。 意に反して、カブもダイコンも元気に育っていて、街で売っているものと遜色ない大きさのものばかりでした。カブはともかくダイコンは、今まで拙宅菜園ではロクに育てられなかったので、荒地の第一弾野菜としては予想外の成果でした。根菜は人さまにお裾分けできるようなものは無かったので、今回初めて隣近所や知人にばらまきましたが、けっこう喜ばれました。 カブは味噌汁や漬物が定番ですが、今回は大き目だったので、ニンニクのスライスと一緒に炒める「カブ・ステーキ」なるものをカミサンが作ってくれました。ビックリするほど美味しかったです。簡単ですのでお勧めします。

■2012年6月 4日 (月) のらくろ便り_L

六月になりました。先月は最後まで公私ともどもバタバタで、改めて計画性をもって行動をすることの必要性を痛感しました。 週末も僅かな時間を見つけて黒川菜園に出かけました。長柄鎌とサツマ苗を入手したので、草刈りと植え付けです。長柄鎌は柄がカタログ(1100mm)より短く(900mm)ちょっと困りましたが、返品する時間もないので、そのまま使用することにしました。ステンレスの刃は予想していたより切れ味もよく、バリバリ雑草を刈ることが出来ました。とは言え、人力なのでなかなか疲れます。 サツマ苗の方は、案の定ホームセンターに並び出したので、ベニアズマでしたが、さっそく入手しました。50本単位だったので、黒川だけで無く、拙宅の菜園にも10本ほど植え付けました。ここ二年ほどサツマイモはダメでしたので、今年は期待してみたいところです。


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