Hiyorimi-Blog

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■2011年7月30日 (土) 地デジC

実家にもアナログ最終日でしたがケーブルテレビを導入しました。ちば、TVK、東京MXという三つのローカル局が映ることになったので、高校野球各県予選もたっぷり楽しめることになりました。屋根上のアンテナ設置だと、これはまず無理な話です。マイナーな事柄でしたが、我ながらいい選択肢だったと思っています。デジタル波は指向性が強いので、地デジ化によって以前は映っていたローカルUHF局が受信できなくなるケースが多々発生していると考えられます。ちばテレビは船橋局なので、その方面にきっちり向けるアンテナを追加設置する必要がでてきますし、東京MXは東京タワーからの送信ですが、出力の関係で受信側でブースター設置を行なう必要が出てきます。わざわざローカル局のために手間暇かけるぐらいなら、ケーブルテレビで全部対応してしまうのが手っ取り早いと思います。おそらく今回の地デジ化で、首都圏のローカル局は経営的な影響(視聴者減)を受けていると思われますが、このことはなぜかあまり話題に上がっていません。私の場合はNHKとWOWOWメインで、やかましいバラエティ番組ばかりの民放地上波は殆ど見ず、むしろ地方局の方が合算すると見ている時間が多いかもしれません(スポーツ以外でも結構良い映画などをたまにやっている)。そう云う意味では地デジ化の被害者にもなっているかも知れません。

■2011年7月29日 (金) ザウルス引退?

長らく相棒としてこなして来たザウルスですが、iPadの購入でだいぶ様子が変わってきました。まだまだ使い勝手は良くないのですが、iPadならではの使い方もわかり始めてまいりましたので、ザウルス用の通信カード(PHS)は解約しました。何時でもどこでもテキストでサクサクと入力出来る小型端末と云うのは、いまでもさほどありません。小さいながらもハードキーボードが備わっている良さは大きかったです。 チョイとした漢字や英単語の確認も、内蔵辞書で確認できたのは結構助かりました。とりわけ重宝したのは、膨大な植物雑学図鑑でした。コツコツとウェブから保存してきたファイルでしたが、いつのまにかとんでも無い情報量になっていました。これはちょっとしたデータベースでしたが、ウィンドウズファイルだったためiPadにはそのまま移行できず、最大の懸案事項でしたが連休中に根気よく一つずつ登録しましたので、一応はほぼ同レベルのデータ保存は出来ました。あとは使い勝手をよくするためのフォルダ管理が残っておりますが、これは空き時間を活用して少しずつやっていく予定です。これが終わればいよいよザウルスとはお別れになると思います。

■2011年7月28日 (木) テンペスト

いまのお気に入りドラマは「トンイ」「孫子大伝」「お江」というのがベスト3。これに加えて先週から「テンペスト」を見始めました。仲間由紀江さんが男と偽り琉球王朝の宦官役を演じるという、時代考証的には「?」の付くストーリーですが、世界遺産でもある首里城の美しさと女優さんたちが着飾る絢爛豪華な琉球衣装の素晴らしさですべて許します。高岡早紀さん演じる聞得大君(きこえおおきみ:巫女)の妖艶さと、まるでベルばらのオスカルのような清楚な存在の宦官孫寧温役の仲間さんのパラドックス的対立は一見の価値ありです。またまた首里に行きたくなってしまいました。こうしてみると、見ているドラマは孫子を除くとNHKばかりで、NHKフリークと呼ばれても仕方がありませんが、民放ではこのスケール感のドラマ製作は、現地の協力含めてかなり難しいと思います。

■2011年7月27日 (水) かぜまる車検

早いもので、かぜまるも二度目の車検となりました。ディーラーに連れて行ったところ、馴染みのセールスさんも退職したとかで、新しい店長が出迎えてくれました。たしかに五年も経てば縁故関係はガラリと変わるのが世の常。かく云う私もかぜまるを買ったときは、よもや今のような環境にいるとは全く予見すら出来てませんでした。かような時の流れの中でも不思議とかぜまるとの相性は変わらず、いまも私や家族に愛されています。まだ二万キロを超えたばかりですので、殆どヘタレもなく元気に走っています。取り立てて買い替えたいクルマも見つからず、車検をとってまた二年間は少なくとも一緒に過ごす予定です。クルマを単なる移動のための道具とみる人も多いですが、わたし的には「相棒」という言葉が最もしっくりくる存在です。

■2011年7月26日 (火) 住所不定

先週は都内での打合わせが多かったため、千葉の親許から通う事もなく町田の自宅から通いましたが、今週はつくばでのイベントが目白押しで、千葉(白井市)から茨城に連日通っています。身体の方は次第に慣れて参りましたが、この「住所不定」的生活感はなかなかシブいものがあります。考えてみると勤務地(働き場所)と住まい(定住地)と云うのは大切で、それぞれに社会的な世界(関係)が何となく出来るものですが、三ヶ所ともなるとその按配が難しくなります。職場は新しい環境なので戸惑いは依然としてありますが、しばらくは固定化されるのでまあ良いとして、住み家の方は大変です。5対2で千葉が多いのですが、相対的には近いとはいえ時間的なゆとりが有る訳ではなく、帰って寝るだけの生活パターンです。週末のアクティビティが多い私ですが、千葉から町田のことをあれこれ考える余裕も出来ず、結局は週末はバタバタとこなす羽目に陥ります。中途半端だとどうしても不満が溜まりますので、最近思っているのはこなすべき予定をぐっと絞ってしまうことが必要だということです。やれる事は減ってしまいますが、これが私の今の選択肢としてはベストだと感じています。

■2011年7月25日 (月) 汚染わらと牛肉

数千頭にもおよぶ肉牛が対象となって大騒ぎしています。原因は水田などの露天に放置している飼料(麦わら)について、行政側が出荷基準を見落としていたことに尽きるのですが、例によって「想定外」ということになっているそうです。まあ防げば十分防げた事故だったと感じるのは私だけではないでしょう。セシウムは体外排出されやすいので、牛肉そのもののから基準値以上のセシウムが残っているケースはさほど多くないはずですが、牛肉を食べた人は非常に気になるところです。B級グルメでもある私も、牛丼はときどき食べるので「ギョッ」としましたが、考えてみれば価格最優先の牛丼チェーン店で出す肉は言うまでもなく国産ではありませんので、そもそも議論の対象外ということになります。云うなれば貧乏人が糖尿病を気にするような話です(笑)。それよりも気になるのは来年のわらです。汚れた土壌で育つ麦や米、作物たちがどうなるのか不安でしかたがありません。

■2011年7月23日 (土) 地デジB

つくばのゲートウェイは秋葉原なので、TX乗り換えのついでに以前より秋葉界隈を覗くことが増えました。メイドカフェの趣味はないので専ら電気店めぐりですが、薄型テレビコーナーはかなり混雑していますね。アンテナ工事業者も大わらわで、注文してもなかなか工事に取り掛かれないといった悲鳴も聞こえてきます。私の実家も地デジ化は済んでいたものの、千葉テレビと東京MX、TVKとマイナーながらも時々録画したくなる元祖UHF地方局をすべて見たいという希望から、ケーブルテレビ化を一ヶ月ほど前に発注していたのですが、工事が延びに延びて、地デジ停波日(24日)ぎりぎりの工事になってしまいました。催促の電話を二度三度してようやくこれでした。このことから感じたのですが、商品品切れとは別に工事ネックによる地デジ難民も相当出るはずです。 余談ですが、安価に地デジ難民から脱出できる地デジチューナーも人気商品ですが、個人的にはレコーダーをお勧めします。アナログテレビで地デジをみていると額縁になるので、早晩薄型テレビを購入することになると思いますが、レコーダー付なら録画機として使い続けられますし、テレビがHDD内蔵式でも意外に役立ちます。録画するプログラムの重なりは結構あるので、チューナーが多ければ重なっている時間帯でもOKというわけで、このメリットは重宝します。

■2011年7月22日 (金) 地デジA

五年前、拙宅コーポラを建てるとき、コーポラ内でインターネット・テレビインフラ部会に属していた私から「どうせアナログは停波するからデジタル共同アンテナだけ立てておいたらいい。テレビ(当時はアナログ)が映らないマンションというのも面白い」とか不遜にも申して物議をかもしたことを思い出しました。これから何十年もの住まいを考えるときに、アナログテレビという古い放送システムに固執して数年間を無駄にすることはないと提案したかったのですが、やはりというか受け入れられず、どちらに転んでも無駄にならないケーブルテレビに決着しました。テレビは見なくとも人生には大きな影響はありませんが、やはり社会生活には欠かせないインフラの一つなのでしょう。いまここでアナログTV放送の歴史を振り返ってみると感慨深いものがあります。かっては丸いダイヤルチャンネルをカタカタ回して(ときどき抜ける)、屋内アンテナを回しながら、今からすればたいそう小さなブラウン管で、家族が揃ってドラマや番組を楽しんだりしていましたね。あれからすると隔世の感が致します。アナログテレビありがとうという気になります。聞くところによると、いまあちこちでアナログテレビの不法投棄が問題になっているようです。長年連れ添っていたのだから、始末もきちんと正しくやってもらいたいものです。

■2011年7月21日 (木) 地デジ@

そろそろ、地上波アナログテレビ放送もお終いになるようなので、このネタでしばしお話ししましょう。まずはわたし自身の状況からです。国産電化製品の品質は大したもので、実家も自宅もアナログテレビは長らく現役バリバリでしたが、いずれも昨年と今年春に薄型液晶テレビに買い替えました。家電製品の開発は日進月歩なので、昨年製品と今年の製品を比べると、その性能や省エネ度などは相当進化しており、しかも価格がまったく異なっていました。今春かった自宅のモデルは、実家のに比べて実売価格は1/3、しかもバックライトはLED化しており消費電力も激減しておりました。薄型テレビのような技術革新とコストダウンが加速してきた電化製品は、買い替えは出来るだけ遅い方がメリットを享受できるという典型でした。そんなわけで、もっか駆け込み需要に走っている消費者は賢いのですが、聞いた話では一部商品の品切れも起きているようで、場合によっては砂嵐画面を余儀なくされる家庭(地デジ難民)も少なくないと思われます(総務省調べでは6月末で29万世帯)。とはいえ、テレビばかりがメディアでもないので、これを好機に一旦静かなお茶の間にしてしまうというのも一興ではないでしょうかね。いつもそばに寄り添っていたから気づかずにいた「テレビ」という存在をあらためて考える良い機会でもあります。

■2011年7月20日 (水) 夏の庭B

夏は気温も高く炎天下なので、土が乾燥して植物にはタフな環境ですが、手入れサボリの甲斐(?)あって、我が家の庭先は一面雑草に覆われています。そのため表土も乾燥してなく、植物や虫たち、そして小動物たちには格好の環境ではないかと思いま す。どんどん伸びている草丈を見ているとそれが実感できますね(笑)。庭作業のときにもあまり刺されないので、今年は不思議なことに蚊の発生が少ないような感じですが、おそらくは弱肉強食の世界が庭先で起きているのでしょうか。雨が少ないせいかクモが例年より多いような気がしますので、その辺りも一因かもしれません。いっぽうクモの天敵ヒキガエルの徘徊も今年はまだ見ていません。少なくとも庭先の簡易ビオトープは撤去しましたので今年産のヒキガエル孵化はないはずです。ニョロちゃんに遭遇していない理由もそんなことかも知れません。庭に出るのは週末だけなので、こまかな状況は良く把握出来ておりませんが確かに変化があるようです。目先の小さな自然を観察できずにいる様は、自然観察指導員の端くれとしても決して好ましくないので、一度じっくりチェックをしてみようと思います。

■2011年7月19日 (火) 夏の庭A

犯人の目星はついていますが、拙宅の狭い庭先にエノキの実生が伸びています。漢字で書くとその性質がわかる樹木が多いのですが、木へんに夏と書いて「榎」という字になります。枝がきれいに広がり、樹下にひろい木蔭を作ることから夏場は重宝されるので、この名になったのだと云われております。街道の一里塚などにも植栽され旅人の休憩場所として親しまれた木としても有名です。分類的にはニレ科の落葉樹ということになりますが、この木は旅人以外からも好かれています。とりわけ多くの昆虫に好まれ、あの国蝶オオムラサキ幼虫の食樹としても有名です。それ以外の虫たちにもエノキは好かれています。昆虫マニアは雑木林のなかでエノキを見付けたら、間違いなく寄り付いてあれやこれや探りまくることでしょう。プロナチュラリストの佐々木洋さんはエノキを「森のジャニーズ事務所」とか呼んでいます。さらにエノキを好むのは虫だけではありません。エノキの実は野鳥たちの大好物でもあるのです。我が家の庭で良く見かけるのは、ヒヨドリ、ムクドリ、ツグミ、コジュケイ、オナガ、メジロなど。 つまり彼らが犯人ということです。どこかの里山で実を食べた彼らが、拙宅の庭先でタネを落としたのでしょう。しかも塩梅よく肥やし付きです。

■2011年7月14日 (木) 夏の庭@

平日は実家から通勤して、週末に留守宅に帰ることにも少しずつ慣れてまいりました。とにもかくにも、ある程度の生活リズムが出来ないと心身の平穏が保てないので、まずは一服です。 週末やることが溜まっているので、土、日曜は結構忙しいのですが、なかでもこの時期は庭の手入れが大変です。観察会とか雨天とかで剪定や草むしりをやらないでおくと、次の週にはえらいことになっています。今年は原発事故以来、庭先での野菜づくりは止めていますので普段よりは楽なはずですが、それでもウンザリです。炎天を避けて早朝ワークに努めていますが、小一時間でも汗だくフラフラになります。 今年、野菜の畝にはドングリからそだてた苗木ポットを置くようにしましたが、これらも炎天で苦戦している感じです。よく見てみると違いがあるようで、たとえばコナラやクヌギは頼りなげにヒョロついている感じですが、南方系のマテバシイはチビながらも大きな葉を広げて元気です。同じく照葉樹であるウバメガシ(これは今年生まれ)も成長は遅いものの、しぶとく育っている感じです。それぞれが多様性をもって生きているので、これらの成長を見るのが夏の庭の楽しみの一つになっています。

■2011年7月13日 (水) iPadB

重さは意外とずっしりくるのですが、見た目の通りかさ張らないので、基本的には持ち運びのツールとしては合格点であると云えるでしょう。あとは個々人に必要なアプリを仕込んで、自分なりに使い勝手をよくするような努力が必要です。ユーザーをなかば見下すようなトーンで、無理やりに自分の土俵に引き込もうとする、このあたりがアップルのケシカランところです。とは言え、ディスプレイは鮮明であり、コンテンツを示す際にはとても有効です。自然観察会に使えるようなネタも少しずつ入りだしているのですが、もう少し充実させる必要があります。言葉ではなくビジュアルにどう訴えられるかが鍵でしょう。フィールドでの季節に支配されることなく、実を観察しながらiPadで花の画像や、冬芽の様子を見せてあげることで、ピンポイントではなく複眼的に自然を観る目を養うと云ったやり方も可能になります。そのためにも、頭の中でしっかりとストーリーを作り上げておく事が肝心です。よもやiPadを使い出すことで、ここまでやらねばなくなるとは思いもしませんでした。厄介者を背負い込んでしまった感が致します。

■2011年7月12日 (火) iPadA

使い出してみると、ディスプレイの照度は思ったより屋外でも耐えられるので、そこは安心しました。自然観察会に活用することが、iPadを選択した一つの理由だったからです。ただし保存ファイル形式が異なるので、今までのZaurusに保存してあった大量のMhtデータベースは何とかして変換せざるを得ません。そこが最大の課題で悩ましい事柄ですが、いつまでもZaurus頼みでは仕方がないと割り切ることにしました。iPadの欠点ではなく長所を活かせるような使い方をせねばなりません。幸いにも安価なソフトライブラリが沢山ありますので、これらを駆使してなんとか立ち上げたいと思います。膨大な植物や昆虫データライブラリがあれば楽チンなのですが、残念ながらまだそれは世に出ていないようです。取り敢えずファイル管理ソフト、日英の辞書、テキストエディタなどをiTuneから購入、多少は使えるようになってきましたがまだまだです。面白いところでは聖書があります。構成や概要について何がなんだかわけが分からないので、勉強のためこれもiPadに入れて持ち運ぶことにしました。仕事に関連したエレクトロニクス情報、自然観察会に関連した生物多様性情報、あるいは最近関心をもっている古今東西の歴史情報なども次々に放り込んでいるので、私の頭の中のようにぐちゃぐちゃになってしまいそうですす。

■2011年7月11日 (月) iPad@

いつまでもザウルスでもなかろうと、年明けから色々とスマートフォンを物色していたのですが、帯に短し襷に長しということで、しばしペンディング状態になっていました。あれこれと考えた末、今までは避けていたのですがアップル社製品を選ぶことにしました。iPad2です。決め手はモバイル機器としてポイントとなる「軽さ」と「バッテリー持久力」でした。人を食ったような特殊なインターフェイスなので、そこが好きではないところですが、まあ頭の体操にもなるだろうと覚悟を決めてとうとうiPadを購入しました。iPadになかなか気が向かなかった理由の一つは、さほど速くないSoftbankの3G回線でしたので、WiFiのみのモデルに決着しました。WiMAXが意外と広範囲にいけるのと、ネットワークが機器切替でパソコンと共用できることも分かったので、それを活用しようと考えたからです。仕事にもフィールドワークにもと、いろいろ可能性のありそうな端末なので、インターフェイスに難儀しながらも少しずつ覚えていこうと思います。

■2011年7月 9日 (土) ウルトラQB

どうも記憶違いだったようで28話でした。先週はパゴスがウランを求めて原子力発電所を襲うとかいうストーリーで、今日的には笑えないテーマでした。とにかく30分で終えなければ困るので、それなりにパゴスは滅びますが、現実はそのようには行きません。全般的にはその辺の生きものが何かの拍子で巨大化したり、凶暴になったりして大騒ぎとなるパターンが多いようです。万物の霊長たるヒトが、あまり真面目にやらないと他の生きものにお仕置きされてしまうということかも知れません。生物多様性という概念がなかなか浸透できない理由の一つが、結局のところヒトと云うのは他者の目線で思考することが出来ない、霊長とは名ばかりの情けない生きものだと云うことでしょう。

■2011年7月 7日 (木) 文月

旧暦では7月のことを「ふみづき」と呼んでました。このくそ暑い時節に読書でもなかろうと思っていましたが、由来は「穂含月:ほふみづき」で、稲穂に実がなる季節ということだそうです。ただしこれも旧暦ベースの話なので、実態は来月ぐらいの状態を指すのでしょう。今年については、まだ梅雨も明けていないので、稲穂どころではありませんが、明ければカラッとというか、ジリジリとさす太陽のもと穂が成長するのでしょう。とは云え私たちにとっては、うんざりする季節の到来です。節電も相まってどう乗り越えるのか、今からびくびくしています。 ところで、蝉が先週あたりから鳴き初めています。ニイニイは先月末あたりから始まり、つくばの公園でも聞こえ出しています。都心のお堀ばたでは、今週早くもミンミンの鳴き声が聞こえ出しました。常総・下総・多摩とあちこち徘徊している身なので、なかなか落ち着いた時間が取れないのですが、今年もセミの抜け殻さがしの時期到来です。暑さのなかでの作業となるので、けっこうタフですが、この時期の風物詩になっているので、今年も懲りずに仲間と始める予定です。

■2011年7月 6日 (水) ウルトラQA

全29話、いずれも面白いストーリーなのですが、その中で特にお気に入りの話はやはりと云うか、怪獣が出てくる話ではないかと思います。冒頭、久々にみる佐原健二や桜井浩子の様子や、映像の中で出てくる 「最新鋭機器」の拙さなどには時の流れを感じてしまいますが、ガラモン、ペギラ、ナメゴンなど、いまでも十分に主役を務められるキャラクターです。ああ云った怪獣たちを生み出した円谷英二さんは、やはりとんでもない天才で、その後の日本特撮映画発展に大きな貢献をしたことは、衆人が認めるところでしょう。 科学技術の発展が必ずしも正しいことばかりではない、人智も及ばぬ何かにたいする畏怖感のようなものを忘れてはいけないことを、このはるかな昔に既に警鐘を鳴らしている点はたいしたものだと感心しています。欲を言えば、個人的にはあと15分長いプログラムだったら、相当素晴らしいストーリーが作れたと思います。(茶の間の団らんで、それだけ長いと親から叱られたかも知れませんので、30分は絶妙の時間だったとも云えますが…)。

■2011年7月 5日 (火) ウルトラQ@

既報の通り、平日通っている千葉の実家にもWOWOWとHDDを入れましたので、早速録画予約を始めましたが、うれしいことにウルトラQがハイビジョン版で復刻になりました。早速録画しましたが、何度見ても傑作揃いです。わずか30分の中に、これほ上手くコンテンツを組み込めたとは驚きです。時代が違うので特撮技術を云々することは控えますが、当時としては素晴らしい出来だと、いま見てもそう感じます。とりわけ「アンバランスな世界になったのは、いずれも人間の仕業」という着想です。登場してくる怪獣は、あくまでその過ちの所産にすぎないということが、いずれのストーリーでもしっかり出されています。哲学が一本通っているので、いま見てもしっかりした内容だと感じるのでしょう。それにしても、昭和40年代前半(1960年代後半)と現代、比較するまでもなく相も変わらず人間どもは愚行を繰り返しているようです。福島の原発事故などは、まさに警鐘が現実になってしまったわけで、むしろ事態は悪化してきていると云えるようですす。

■2011年7月 4日 (月) キリスト教葬儀B

そんなわけで、自分もキリスト教式で葬儀をしたいと思い始めました。(注:小学生の頃以来、教会などに行った経験ゼロ)キリスト教と云っても、カトリックとプロテスタントでは葬儀の内容が異なりますが、基本的に信者であれば、カトリックでもプロテスタントでも葬儀は受けられます。信者でない場合は、妻や親など近い人がクリスチャンであればキリスト教式葬儀を受けることが出来ると思います。ところが、私の身の回りにはクリスチャンは皆無。ならば自分がなるしかないな、ということで、子供の通っているミッションスクールの先生に尋ねたところ(背景はみっともないので言わず)、早速いろいろとアドバイスを頂き、まずは教会で開いている入門講座に通ってみることにしました。ここしばらくは多摩地方と茨城県、千葉県をまたがる生活をすることになるので、一体どこの教会に通うのかも選択肢になるのですが、どこからもアクセスできる真ん中がよかろうということで、紹介されたのが四ツ谷のイグナチオ教会。通い始めたあとで聞いたら、カトリック界ではとんでもなくメジャーなところでした。

■2011年7月 2日 (土) キリスト教葬儀A

そろそろか、いずれかは神のみぞ知ることですが、人間誰しもが迎えるイベントである葬儀。まあ「死んじまったら後のことはどうでもよい」と開き直るのも一手ですが、わたし的には「手仕舞いは自分の意志で演出したい」と考え始めました。そのきっかけを作ったのは、冒頭に取り上げたカトリックの葬儀でした。ほとんど形骸化している葬式仏教とは異なり、なにか新鮮で本質的な要素を感じたのです。もちろんキリスト教式の葬儀自体は稀ですので、それだけでも新鮮なのですが、感じたのはそれだけではありません。仏教では専ら当人の成仏とご冥福をお祈りする儀式になるのですが、キリスト教では、むしろ参列した人々にも神のご加護が授かるようなお祈りの場でもあります。讃美歌なども、参列者皆で歌うことで心安らぐ行ないだと思います。そこでは、死を忌むべきもの、不浄なものとして捉えてはなく、言葉は適切ではないかもしれませんが、ある意味「ステップアップ」するためのイベントという考えが根っこにあるようです。肉体から離れて、ここからが永遠の幸せの始まりという訳です。基本的に避けては通れない事柄ですので、このように前向きに捉えるのは、なかなか良い発想ですねす。

■2011年7月 1日 (金) キリスト教葬儀@

この手のブログでは宗教ネタは無用な反発を招くので基本的にご法度ですが、たまにはということでご容赦いただき、少し採り上げてみましょう。この春、知り合いの葬式がありました。カトリックの葬儀でした。不謹慎ですが、それを機会に少しばかり考え始めたことがありました。この齢になると、多くの知り合いの葬式や通夜に出掛けることになりますが、いずれも葬祭業者によってパターン化されていて、何か流れ作業であの世に運ばれているような印象をもっていました。お経をあげにやってくるお坊さんも、イベントの1パーツのような感じ、式典ですからパターン化は仕方がないところですが、葬祭業者によってベルトコンベアのように式次第が進められていく様を、いざ自分自身に置き換えて考えてみると、本当にそれで良いのかと感じ始めました。


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