Hiyorimi-Blog

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■2011年3月31日 (木) 電力対策@

先にも述べたように、ポジティブ・シンキングで行く限り、この度の悲劇を電気の浪費を見直す機会と捉え、超省電力社会にむけた国民的なムーブメントをスタートするタイミングと見なしたいところです。足りないから発電所をつくるではなく、足りないなりに消費構造を見直すという発想です。一方、凹んだ電力量を、必要最小限リカバリーする手立てを打つことも重要で、現下の状況を踏まえれば、原発以外の手段で出力増強策を検討するしかありません。電力会社は短期的には既存火力発電所内でLNGによる発電設備の増強に動いていますが、おそらくそれだけでは最低消費ラインにも全然届かないはずです。よって、あらたな発電所立地を早めに動く必要があります。優先順位的には太陽光、風力、潮汐、地熱などの再生可能エネルギーを使ったものになりますが、立地条件や変動要素(天候など)に振られるため、基盤となる電力確保となると、やや頼りないものになることでしょう。思うに、安定的に出力できる基盤となる発電施設は、おそらくは先端石炭火力しかないはずです。現在、四分の一を石炭火力に依存しており、国はこれを1割に減らし、原発を3→4割に増強する計画を持っていました。ですが、今回の事故でこのスケッチは根本から見直しすることになるでしょう。

■2011年3月30日 (水) たまには休憩B

この時期はまさに春野菜の種蒔き時期なのですが、今年は早々と播種休止を決めました。大気の状態も土の状態も不透明なままで、野菜作りだけ進めていくのもまったく楽しくないので、まずは文字通り「日和見」モードに入ることにしました。聞こえてくる情報が不確定ななかでは、余計な行動は却って事態を悪化させますので、種蒔きのみならず土いじり(耕起作業)も取りやめです。ずっとフル稼動を続けてきたため、4年目に入って菜園の土も結構くたびれてきたので、部分的に休ませることは考えていました。はからずも全面休止になってしまいましたが、今の時期は休憩するしかないでしょう。ベストケースで早ければ、秋蒔きから復活する可能性もあります。先ずは休憩しましょう。

■2011年3月29日 (火) たまには休憩A

この話をすると暗くなるので避けたいのですが、原発は依然として予断を許さぬ状況下にあります。これから何とか収束のメドがたっても、電力供給量は凹んだままであり、これから長期間停電問題から逃れることは出来ません。今年は扇風機さえも使えない暑い夏になるケースも想定されます。一方、今起きていることは、とても不幸な出来事ですが、今まで使いたいだけ電気を使ってきたという「近代社会の常識」なるものを見直して行くきっかけにするべきという意見もあります。デマンド主体ではなく、サプライ事情に合わせたアクションが出来る社会にと云うことです。電気がこなければ、あるいはモノがこなければ、それなりに需要側で柔軟に対処する(消費を先延ばしする)ようなスタンスがとれる社会にというのはどうでしょう。慌てずに騒がずに「欲しいものが無くなったら右往左往せず一旦休む」という発想に転換することもありかと思います。さもないとまた、どこかでモア&モア教信者に逆戻り。やがて供給側で綻びが生じ、同じような轍を踏む羽目になりかねません。

■2011年3月28日 (月) たまには休憩@

計画停電になると2時間程度の暗闇生活を強いられます。病院などは非常に困りますが、一般家庭ではまあジタバタしても始まらないので、割り切りが肝心です。昼ならばいろいろ個々の作業は出来ますが、暗くなってからの停電では、蝋燭の火を眺めながら、普段はあまりしない家族の会話があったりして、それはそれで過ごし様もあるものです。風呂を炊いていればゆっくり入ったり、あるいはこれ幸いと早々と寝てしまったりすることも出来ます。生活リズムが狂うという、多少の不便はありますが、ご苦労されている被災地のことを考えれば贅沢は言えるものではありません。

■2011年3月27日 (日) みどりB

日本の森林面積は国土の7割弱。先進国としては例外的に広い森林をもっている我が国ですが、エネルギー転換資源「みどり」として、その重要性が認識され政策として位置づけられているとは、とても云える状態にはなっていません。林野行政は、年々沈下しているポジションを何とか取り戻そうとあがいているのが実情です。その理由のひとつが森林に対しての意識がまだ「林業」から脱却できないことにあると私は考えています。ここで云う「林業」という概念は、産業生成物としての木材消費あるいは森林維持という、かっての構造から脱却できていないことを示しています。太陽エネルギーの活用という働きは、今まで使われている言葉で言えば「炭素吸収源としての森林の重要性」という表現でも、その一端は表すことが出来ます。でもそれでは正しくないのです。経済活動の拡大により二酸化炭素が増えたから、そのネガティブ要因を打ち消すための森林。という立付けで「みどり」の価値をすべて現すことは出来ません。私たちが、これからも、この地球で生きて行くための必要不可欠な命綱としての「みどり」。地球外からのエネルギー変換機能としての「みどり」。そして、心に安らぎを与えてくれる隣人としての「みどり」。こういった趣旨を、これから始めていく我が国の膨大な復興行政やあらゆる活動のなかで、しっかりと位置づけて織り込んでいくことを願って止みません。

■2011年3月26日 (土) みどりA

思うに地球内のエネルギー源は、ほとんど例外なく有限であり、その利用と想定されうるリアクションについては留意が必要でありますが、地球外から取り込めるエネルギーについては、今まで以上にその価値を見いだすべく積極的に利用を図るべきと思われます。その一つが太陽エネルギーです。これから、太陽エネルギー活用についての研究が加速されて行くことでしょう。基本的に、地球内のすべての動物には、太陽エネルギーから有用物を合成する術をもたないのですが、植物ならびに植物プランクトンには、それができます。植物プランクトンのお陰で、この地球に生きものが育ち、生成されたオゾン層により有害紫外線がカットされたことで、陸上に生きものが進出できたことは改めて言及する話ではありませんが、私たちが植物に支えられてきた事実は曲げようがありません。植物を総称して「みどり」という表現を私たちは使ってきましたが、その言葉の中には植物に対する親しみや敬意や含まれていたと感じています。これから先は、この「みどり」という概念のなかに、閉鎖系の外側からのエネルギーを、私たち地球の生きものの生命を維持するための、極めて重要な「命綱」であるということを、あらためて強く意識する必要があります。そう言った視点で「みどり」を、あらゆる政策や行動を進めていく基盤に据えていくことが求められます。これは、私たちがこれからも持続的に地球と共に生きて行くための要件でもあります。(続く)

■2011年3月25日 (金) みどり@

しばらくの間は、世の中も落ち着きを取り戻せそうにありませんが、季節の移ろいとともに清々と進んでいる世界もあります。街頭のハクモクレンやコブシもローソクのような蕾を割って、見事な花を咲かせ始めています。目を落とせば地面を割って、草花の芽が飛び出している様が見つかることでしょう。この地球は閉鎖された生態系で、よく言われるように、その中での熱量は結局はバランスされています。発展し続ける経済社会と、それを維持するために膨大な資源が消費されておりますが、その辻褄はどこかで合う仕組みになっているのでしょう。すでに化石燃料の浪費がそこかしこに歪みとなって現れていることは周知のとおりです。また、温暖化対策や有限資源に対しての一つの方策として位置付けられた原子力エネルギーについても、多大な代償を支払っている今、その有り様がこれから問われていくことは間違いないところです。エネルギーと、その使い方について、これから少しばかり考えていきたいと思います。(続く)

■2011年3月24日 (木) SUZUMEC

南大東島は元々無人島でスズメも居りませんでした。この鳥はあくまで人里そばに育つ鳥だからです。初めての島民が八丈島から来たのがおよそ百年前といいます。スズメがやってきたのは、それからとされています。人為的に持ち込まれたのか、自然に広がったのかはデータがありませんが、水田と養鶏場があって、年中温暖なこの島がスズメにとっては楽園だったのでしょう。エサが豊富なことと相まって、孵化率や生存率もかなり高いのだと思われますう。一平方km当たり一万羽のスズメが生息しているという調査結果があります。一度その光景を見てみたいものです。スズメの若鳥は巣立ちの後、300キロぐらいの移動をする個体もあるという話ですが、本島から遠く離れた南大東島から、偏西風を押しながら移動することはなかなか一般的ではありません。エサさえ確保できれば、温暖なこの島でのんびり過ごしたほうが利口だと判断したのかも知れません。本土を遠く離れた地に、街中にいるとばかり思っていたスズメの楽園が存在していると云う事実は、何やらとても楽しい話です。

■2011年3月23日 (水) SUZUMEB

もう一つ、都市部のスズメが減った理由としてあがるのが住宅の構造です。スズメは人里に隣接したエリアを棲み家としますので、人家などの構築物へ巣をかける鳥です。ずっと昔は茅葺き屋根、その後は瓦屋根などの隙間の多い家屋がありましたが、最近の戸建て住宅には瓦も無いし、隙間の多い軒下もありません。更にはまた、スズメは巣(繁殖期にしか使わない)とは別に、日頃のねぐらにしてきた竹やぶのような場所も減って来ています。雛の餌は減るし、巣やねぐらの場所も限られているのですから、スズメ達が減っているとかいう話も分かるような気がします。住みにくい都市部から、少しずつ郊外に移動しているのかも知れませんね。国内のスズメの分布がどう変化しているのかを、全国的に調べた資料はないのですが、スズメの棲息密度を見ると興味深いデータがあります。全国トップはなんと南大東島。郊外どころか沖縄本島から360キロも離れている離島なのです。

■2011年3月22日 (火) SUZUMEA

以前、日和見ノートのなかで、中国がスズメ駆除を大々的に行った翌年、害虫が大発生し農作物に甚大な影響を与えたことを紹介させて頂きましたが、農業も自然相手なので、農村周辺の生きものとは微妙なバランスで成り立っていることを、そこから教訓として人は学びました。ちなみに子育ての時期に、スズメの親が巣に運ぶ虫の数たるや凄まじいものです。毎日300回、昼間12時間換算とすると2分30秒ごとに一回エサを運んでいる勘定になります。ピーピー言うヒナたちがいるからですが、いくらせかされても、これだけの頻度でエサを探し出すことは相当大変な作業です。子育てが春から夏にかけて、虫が発生し易い時期に集中している理由も分かります。近年、都市部でスズメの数が減っている理由の一つに、餌の確保が関わっている可能性もあります。農地や里山が宅地に変わることで、一定面積当たりに育てられる雛の数は制限されてしまうことが考えられるからです。

■2011年3月21日 (月) SUZUME@

昨日、多摩丘陵のハクモクレンに目が行きました。開花直前です。自然の営みは清々と進められていて、まもなく他の木々も満開の花を咲かせることでしょう。こう云った小さな、でも着実な光景を紹介していくことで、傷ついている多くの人々の心に少しでも元気が取り戻せないかと考えています。植物以外でも、見えているのに見てない生きものというのは、私たちの周囲に結構いるものです。その代表的なものが、スズメではないでしょうか?都市環境の変化と共に、いまスズメが激減しているという話もあります。いつの間にか「そう云えば最近スズメを見かけなくなったな」とかいうことになるかも知れません。そうなる前に、私たちの小さな隣人の話をしておきたいと思います。何と云っても日本は稲作文化ですので、どうしてもスズメ=害鳥という判断をしてしまいます。スズメたちは稲穂だけを食べているのではなく、草花の種や実なども食べている雑食性の野鳥です。子育ての時期には、栄養価の高い、蛾などの幼虫を集中的に漁っているので、そう云った面では農家にとっては益鳥でもあるのです。

■2011年3月20日 (日) ドバトB

キジバトは、たまに昆虫なども食べるのですが、ドバトは完全ベジタリアンです。子育ての時期は、高タンパクの餌を与えるために、普段菜食している鳥たちも動物食(昆虫やミミズなど)に変わるのが多いのですが、ハト類には秘密兵器があります。それは「ピジョンミルク」です。ハトの体内で脂肪分やタンパク質が豊富なミルク状の液体を生成することが出来るのです。これをいつでも雛に与えることが出来るので、ハトは冬でも子育てが可能なのです。よく乳製品で「dove:ハト」という名前がついている製品がありますが、これはまさしく高栄養ピジョンミルクを意識してのものに違いありません。ミルクという武器を持つために、他の鳥のように繁殖期(≒雛の餌となる虫類が豊富な時期)を気にせずに年がら年中色気づいているハトたち。このような繁殖力のタフさが、周囲の環境変化にも負けずに乗り越えて来た理由の一つなのでしょう。

■2011年3月19日 (土) ドバトA

ドバトと野生のハト(ヤマバトとかキジバトと呼びます)の違いは知っておいた方がいいでしょう。遠くから見で一番の違いは、ドバトは群れていて、キジバトは殆どがつがいか単独です。もう少し近くにくると分かる特徴は、キジバトはその名の通り、首の裏(人で言うと襟にあたる部分)にキジのような縞模様があること、ドバトには鼻の部分に突起(鼻こぶとか鼻瘤と言います)がある点です。ドバトの由来はいろいろあって、くすんだ灰色だから土鳩だとか、寺の境内に多いから堂鳩だからとか云われております。ドバトはカワラバトの一種で、日本にはいない鳩でした。やって来たのはよく分かっていないのですが、鎌倉時代には既に記録があります。その後は明治に入って軍用鳩の移入、あるいは戦後のレース鳩ブームなどで移入されたのが逃げ出して(というか鳩舎に戻ってこないで)野生化したものがドバトたちのルーツです。最長老の家系は千年にもなるので立派なものです。野鳥に入れて貰えないからと云って、あまりバカにしてはいけません。(続く)

■2011年3月18日 (金) ドバト@

呑気なテーマということで、そこいらに群れているドバトの話から始めてみましょう。まず、野鳥というのは「飼われていない野生の鳥」ということだと素人的には考えてしまうのですが、ドバトのように元々飼育環境から逃げ出した鳥たちは、野生化したとしても「野鳥」というカテゴリーには入れてないようです。なかにはコジュケイやカササギなどのように飼い鳥から逸出(籠脱け)したにも拘わらず、いつの間にか野鳥扱いされているケースもありますが、はるか昔に野生化した、公園や寺院に群れているハト(ドバト)は、何時までも野鳥には入れてもらえておりません。とは云え、いまや都会の生態系にニッチをしっかり占めているドバト。あらためて見てみると、なかなか面白い存在だと思います。(続く)

■2011年3月17日 (木) ヒヨリミ・ノート

そんなわけで、こういう時期だからこそ、極力呑気な発信を続けて行こうと思っています。わたし自身が呑気にならないと、投稿記事も暗い雰囲気になってしまいますので、基本的にはノーテンキなスタンスを続けたいと思います。先ずはテレビについてはニュース系は最小限にして、ネガティブな意識に呑みこまれないように努めて行きます。テレビにサブリミナル効果があるのは間違いないです。次になるべく楽観的に捉えて考えようと思います。リスクマネジメントという名のもと、ひたすら選択肢を列記して対処しようとすることが正しいような風潮が、近年では強いですが、結果論としては意外と役立っていないことの方が多いと私は思っています。所詮は浅薄な人の浅知恵である場合が多く、いつもの言い訳で「かかる事態は想定外だった」というのが関の山です。自分の守備範囲でカバー出来ない不安に押し潰されると心身ともに自身を痛めてしまい、必要なときに正しい判断が出来なくなります。そんなわけで「呑気さ」を大切にして、日和ったレポートをこれからも続けて行きたいと思います。宜しくお付き合いのほど願います。

■2011年3月16日 (水) 負のスパイラル

はじめに、此の度の震災で、犠牲になった方々に深く哀悼の意を表します。並びに被災され御苦労なさっている方々には、心よりお見舞い申し上げます。更には、被災現場で救援、復旧を頑張っている方々にも厚く感謝申し上げたいと思います。
連日連夜いろいろな事態が重なり、我が国全体、地域の生活、勤め先での対応など、自分を取り巻く環境が大きく揺れていることで、皆さまも同じだと思いますが、私自身ストレスが溜まり、かなり凹んでしまっています。昨日、ふとしたことで、テレビの画面に釘付けになって居る、言わば負の連鎖のような渦に巻き込まれている自分がそこに居る、ということに気がつきました。そして、これでは駄目だと感じました。たしかに周囲は決して楽観的な情勢ではありませんが、そこに同期していては渦に呑み込まれてしまいます。負のスパイラルに陥ると、本来は抱えられないマイナスまで抱え込んでしまい、心と身を痛めることになります。
自分は自分、というスタンスをしっかり持って、周囲に振り回されず、出来ることを進めて行くことが必要だと思います。自分自身を黒い霧で囲まぬように、こういう時こそ敢えて「気」を外すような試みをした方が良いと感じました。今まで見る暇のなかったDVDを借りてきても良いし、いっそ映画などに行くのも手です。好きな音楽や小説に没頭することも効果的です。「こんな時に」ではなく「こんな時こそ」元気の出る試みを行うべきではないでしょうかね。古今東西、人間は演芸や歌、娯楽と親しむことで、気持ちを切り替えて苦難を乗り越えて来たものです。

■2011年3月11日 (金) 都市鳥

春とは云え、新緑にはもう少し時間が必要です。緑が少ないと寂しいのですが、見晴らしがよくなって、野鳥たちの姿がよく見られるのは今の時期ならではです。鳥たちも必死で、エサをあちこちからかき集めているわけで、拙宅でも年末からバードフィーダー(餌台)を設置しています。暗いうちに置くのですが、通勤支度をしながら明るくなって来たときには、台の上には餌はまったく無くなっていますので、まあそれなりに助かっているのでしょう。だいたいがキジバトとスズメですが、里山の餌が増えてくる来月の後半まで続けています。街の公園などでやっている餌付けと違うのは、野鳥用の自然穀物を与えていること。餌が少なくなる12−4月までに限定していること。人影は見せないことなどで、野性を失わせぬようにしています。一般的には、野生の生きものたちにとって、都市部というのは良い環境とは思えないのですが、いつの間にか都市環境にフィットしてしまった野鳥たちを、人はよく「都市鳥」などと呼んでいるようです。

■2011年3月 9日 (水) 早春植物

日が長くなり、気温が上がってくるので、これから色々なフィールドで息吹が感じられるようになってきます。なかでも、この時期ならではの妖精のような植物「スプリング・エフェメラル」は見ておくべきアイテムだと思います。雑木林や沢筋にひっそり咲いて、春の深まりと共に静かに消え去ってしまう可憐な草花を、私たちはこう呼んでいます。春植物という呼称もありますが、スミレなどと異なり、早春植物は足早に立ち去ってしまいます。落葉広葉樹が葉を展開する前の、ほんの一時のために一年を過ごしている彼等の繊細な営みは、生物多様性のなかでとても重要な指標と云えるでしょう。

■2011年3月 7日 (月) 上級救命講習A

救急車が来るまでの対応次第で、蘇生率は大きく変わりますので、緊急心肺蘇生は重要な措置なのですが、最近は力強い助っ人が出て来ました。このところ、公共スペースのあちらこちらで目につくのはAEDです。今回の講習でもAEDの使い方についての指南をうけました。話によると、この機器によって蘇生する率はかなり高いようです(ある調査では77%蘇生)。AEDだけの短時間講習会もあるようなので、出来るだけ大勢の方が受けておいた方がいいと思います。基本的にはAED自身の音声ガイドに沿っての作業となりますが、想定されるシチュエーションは、かなり動転しているはずですので、事前講習のある無しは、かなり大きな差があると思います。

■2011年3月 4日 (金) 上級救命講習@

先週、忙しくなった理由の一つが、平日、丸一日かけて表題の講習会を受けたことで、実働日が減ってしまったことです。まあ以前は二日かけていた講習でしたので、それよりはマシですが。消防署のなかにある講習室で、心肺蘇生、AED、三角巾、搬送法などを学び、自ら演習するコースで、内容はかなり盛り沢山でした。屋外イベントが多いために、何かあった時のリスク管理面で、この資格はあった方が良いと思って講習会に行ったわけですが、意外にも当日集まった20名の受講生のうち半分以上が女性でした。オジサンとしては、ちょっと嬉しい一日でした。

■2011年3月 2日 (水) 上野の杜D

不完全燃焼という間隔をもった理由は二点。一つは上野公園というフィールドの広さで、しかもポイントが散在しているため、2Hで的を絞ることが難しかったことです。移動時間に多くを費やされました。二つ目は、ストーリーに背骨を作れなかったことだと思います。武蔵野台地、寺社林構成あたりを中心に作れば良かったのですが、歴史文化に溢れているフィールドだったので、少しばかりそちらに振れ過ぎてしまいました。公園ガイドならばそれでも良いのですが、「自然」の「観察会」という建付けが希薄になった点が、終わった時に感じた気持ちの悪さに繋がっているのだと、あとになって判りました。でも、こんなことは、やって初めて気が付くことでもあるので、次回以降の観察会に反映すればいいのかなと思います。

■2011年3月 1日 (火) 上野の杜C

2月は最後までイベントが重なり、投稿を空けてしまいました。まあ、色々あって、とんでもなく足の速い月でした。そんなわけで、先の日曜日も事前準備不十分なままの観察会になってしまいましたが、暖かな好天に恵まれ、結果的には概ねオーライの観察会になったのは幸いでした。予め作っておいたストーリーに沿って、参加者とやり取りしながら身近にある自然についての関心を深めていくというのが、このところ私自身の観察会のスタイル。ここで云うストーリーというのは生物多様性という切り口だけではなく、歴史や文化も交えた分厚いものを狙っているのですが、今回は欲張り過ぎたのか、残念ながら不完全燃焼という感じに終わりました。


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